混ぜた波は、戻せる

混ぜた波は、戻せる
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またいつか、と言った話

前回、こんな話で閉じました

「どんな複雑な波も、速さの違う回転の重ね合わせでできています。その話は、またいつか。」

今回は、その「またいつか」です。

前回までに扱った波は、一つの回転の影でした。円の上を回る点を横から読むと、きれいな一本調子の波になる。振幅、速さ、タイミングを一枚の名刺として読める、というところまで来ました。

その話は、こちらでつながっています。

でも、現実の波は一本調子ではありません。音も、画像も、通信の信号も、もっと入り組んだ形をしています。一つの回転の名刺だけでは、書ききれないものがあります。

同じ高さなのに、違う音

たとえば、ピアノとギターで同じ高さのラを鳴らしたとします。音量も同じくらいにそろえたとしても、自分たちはたぶん聞き分けられます。

不思議なのは、ここです。

前回の名刺で書くなら、音の高さは速さ、音の大きさは振幅でした。同じ高さで、同じ大きさなら、名刺はかなり似てしまうはずです。それでも、ピアノはピアノらしく、ギターはギターらしく聞こえる。

つまり、音には名刺一枚に書けない情報が残っています。それが、音色です。

音色は、一本の波だけではなく、いくつもの波の混ざり方として現れます。同じ基本の高さを持っていても、その上にどんな速さの成分がどれだけ乗っているかが違う。この違いが、同じラを別の楽器として聞かせています。

波を足すと、形が生まれる

波を足す、というのは難しい操作ではありません。同じ瞬間の高さ同士を足します。

前回のノイズキャンセリングでは、逆向きの波を足すと消える、という話をしました。今回は消すのではなく、混ぜます。

基本の回転に、2倍速、3倍速、さらに速い回転を重ねる。すると、影として読める波形が少しずつ形を持ち始めます。

式にすると、こういう足し算です。

$$ r_1e^{i(\omega t+\varphi_1)}+r_2e^{i(2\omega t+\varphi_2)}+r_3e^{i(3\omega t+\varphi_3)}+\cdots $$

各項は、一枚ずつの名刺です。 $r_1, r_2, r_3$ はそれぞれの振幅、つまりどれだけ強く混ぜるか。 $\varphi_1, \varphi_2, \varphi_3$ はタイミングのずれです。 $\omega, 2\omega, 3\omega$ は速さで、基本の一周に対して、2周、3周する仲間です。全員が同じ繰り返しに乗るので、重ねたあとも一つの周期的な波になります。

配合を選べば、かなり角ばった波にも近づけます。

配合を選んで重ねると、角ばった矩形波に近づく。ただし有限本では角にはなり切らない。
配合を選んで重ねると、角ばった矩形波に近づく。ただし有限本では角にはなり切らない。

ただし、有限本では完全な角にはなりません。丸い回転を何本か重ねて角に近づけているので、角の近くには少し揺れが残ります。この「なり切らなさ」を隠さないほうが、むしろ仕組みは見えやすくなります。

音色は、配合で決まる

ここで、さっきの音色に戻ります。

ピアノとギターは、同じ基本の速さで鳴っていても、その上に乗る2倍速、3倍速、4倍速の成分が違います。この倍速の成分たちには、倍音という名前があります。

どの速さがどれだけ入っているかを並べると、それは配合表になります。そして、配合表は複雑な波の名刺です。

配合のイメージ。同じ高さの音でも、基本の速さと倍速成分の配合が変わると音色が変わる。
配合のイメージ。同じ高さの音でも、基本の速さと倍速成分の配合が変わると音色が変わる。

前回の名刺は、一つの回転の名刺でした。今回の名刺は、名刺の束です。基本の成分、2倍速の成分、3倍速の成分が、それぞれ自分の振幅とタイミングを持っている。

音色を聞き分けているとき、自分たちはこの配合の違いを耳で受け取っています。名前を知らなくても、配合が違えば、波の形は変わります。波の形が変われば、聞こえ方も変わります。

混ぜたものは、戻せるのか

ここから、向きを逆にします。

いくつもの回転を足して、一つの波形ができる。では、できあがった波形だけを渡されたとき、その中にどの速さの回転がどれだけ入っていたかを取り出せるのでしょうか。

日常の感覚では、混ぜたものを元に戻すのはかなり難しいです。絵の具を混ぜたあとで、元の色だけをきれいに取り出すことはできません。コーヒーにミルクを入れたあとで、ミルクだけを戻すこともできません。

波形の上でも、全部の成分は一つの曲線に重なっています。曲線のどこかに「ここが2倍速の成分です」と書いてあるわけではありません。

それでも、波は戻せます。混ぜた波から、配合表を取り出せます。

狙った回転だけ、止めて読む

使う道具は、逆回転です。

肩にマイナスを載せた指数は、角度が増えるのではなく減っていく回転です。新しい約束ではありません。同じ回転を、逆向きにたどっているだけです。

たとえば、2倍速の成分を取り出したいとします。混ざった波全体に、2倍速の逆回転を掛けます。その中の2倍速の成分だけに注目すると、こうなります。

$$ e^{-i2\omega t}\times r_2\,e^{i(2\omega t+\varphi_2)}=r_2\,e^{i\varphi_2} $$

これは、第2弾で出てきた指数法則そのものです。肩の上では、$2\omega t+\varphi_2-2\omega t=\varphi_2$ になります。時間 $t$ が肩から消える。時間が消えるということは、もう回らないということです。

2倍速の名刺だけが、ぴたりと止まります。止まった点には、振幅 $r_2$ とタイミング $\varphi_2$ がそのまま残っています。

では、ほかの速さの成分はどうなるのか。それらは、速さの差のぶんだけまだ回り続けます。回り続ける点は、一周ぶんならすと円の真ん中に落ちます。つまり、0 になります。

狙った成分は止まって残る。ほかの回り続ける点は、一周ぶんならすと円の真ん中に落ちて消える。
狙った成分は止まって残る。ほかの回り続ける点は、一周ぶんならすと円の真ん中に落ちて消える。

残るのは、止まった名刺だけです。

狙いを3倍速に変えれば、3倍速の名刺が止まります。基本の速さに変えれば、基本の名刺が止まります。同じことを繰り返せば、配合表を一枚ずつ取り出せます。

波を戻す道具の名前

混ぜたものは、普通は戻せません。でも、波は戻せます。

狙いの速さの逆回転を掛けて、一周ぶんならす。すると、その速さの成分だけが止まって残り、ほかの成分は円の真ん中に落ちて消えます。

この分解の道具には、フーリエという名前がついています。音や画像を扱う場所の至る所で、この考え方が動いています。

そして、回転で情報を編み込んで、あとから読み出す仕組みは、実はAIの中でも動いています。その話も、またいつか。

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